政治学のアメリカ化?

下の文章はだいぶ前に書いたんだけど、アップするのを忘れていたので、アップしておこう。

最近話題のS先生の政治学アメリカ化の論文を読んだ。大筋では賛成なんだけど、いくつか気になった点を箇条書き的で。

  • 計量の論文の査読は難しいという指摘に関しては、そうでもないと思う。リジェクトの理由として、別の変数が本当は真の要因なのではないか、と査読者が考えたとして、その別の変数を入れたモデルを査読者が推定する必要はない。査読者に求められるのは、その可能性を指摘するところまでで、その可能性を排除できていないが故にリジェクトしても良いだろう。また、それを検証することをR&Rの条件にすることも問題ないだろう。別の変数が利く可能性に気付けるかどうかが査読者としての能力の一部だし、気付けるかどうかは計量に関する知識やデータの所有を必要としない。
  • 査読の質の向上。査読誌の数自体を増やすのは、資金等の面から難しいと考えられるので、今ある雑誌の質を向上すべきだろうと思う。紀要のレビューを実質化させる、というのはもう考えられても良いだろうと思う。紀要の機能について知識はもってないので、思いつきだが。

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*1:「競争競争っていうけど、日本の査読誌にどれほどの価値があるの?」というような趣旨のことを言っている人がいる、という話を方々から聞くが、自分の所属する学会の査読誌に誇りを持てないってどういうメンタリティなんだろう。よく分からない。