政治学のアメリカ化?(その2)

トラックバックをもらって嬉しくなったので、dynamanの記事を読んで思ったことを書いておこう(なんか長くなった)
政治学のアメリカ化は粗製濫造をもたらすか? | dynaman's dying hard

  • 誌上論争がグデグデになって終わるのは、結局のところ実証的には結論に出来ない点が大きいのだろうと思う。私の分野でそれなりに有名な、カルテル理論vs.政党否定論とか、方向性vs.近接性理論、あるいは、責任の明確さ(clarity of responsibility)を巡る論争なんかは、いずれも決着がつかないまま終わった。議論がプロダクティブなのはぎりぎり2往復(批判、再批判、再々批判)くらいまでで、それ以降は水掛け論になりがちだ。政治学のメジャメントはそこまできっちりとは出来ないので、白黒はきっちりとはつかない。だからといって測定とモデルを精緻化していくと良いのかと言うと、これはあまり実りある研究にならないと思う。対して、研究を止揚するような研究の方向を目指すことが発展的なのではないかと思う*1
  • 「一つのテーマ」に関して。出版した複数の論文の問題意識がどのように関連しているのかが明確である、ということが重要だ、という話をよく聞く。20本ほど論文があるにも関わらずテニュア審査でリジェクトされたケースが何年か前に話題になっていたが、彼の場合は、いかにも「いま流行っているテーマについて論文書いてみました」的な感じがアリアリだったのが良くなかったのだという話だった。本当に関心を持っている領域があり、それについてきちんと考えていれば、論文のトピックはいくつも浮かんでくるだろうし、そこから生まれた論文はお互いに関連するのだろうと思う。うちの大学の比較政治のファカルティは若手が多いが、彼らのテニュアまでの論文の履歴を見ていくと、一つの論文でどんな貢献をなし、そして何が足りないかを理解して次の論文につなげているのかが明らかだ。それを積み上げていくことがテーマを持つということだろうし、そういう研究者になりたい。
  • アメリカでのシニアの競争圧力。テニュアをとってしまうと研究をしなくても生き残れるようになるので、若手ほどは研究をする理由がないというのはアメリカでも同じ*2。ただ、研究を継続することで給料は上がるし、研究費をとると学部の財政が潤うから大きなグラントを持っている人は扱いが良くなるし、授業負担も減らしてもらえる場合があるし、などなど研究を継続することでプラスになることが日本よりは多いのだろうと、日本で働く友人の話と比較すると感じる。また、研究に対する熱意も能力も具えた人に与えられる環境がとても良い。これは、金を出す側も、本当に研究をして欲しいと思っているからだ*3。この背景には、科学の進歩というものに対する楽観的な信念*4アメリカは持っているし、政治学を含めた研究者は科学を進歩させることにコミットしている、ということが(やや誇張にしても)あると思う。

追記:勢いで書いてアップしたら間違いがあったので、直した

*1:unified theory, unified testを作れ、と言っているわけではない。アレは微妙なことが多いし。例えば、新しい例ではStiglitz and Weingast (2010) LSQでカルテル理論vs.情報理論の実証をしているが、Cartel theory の扱いが微妙なので、ほんとにテストになっているのかどうか

*2:授業で学内の研究費からピザをとってくれるおじいちゃん教授がいるのだが、彼なんかはもう研究はやる気ないんだろうな、と思う

*3:例えば、私はNSFのディサテーショングラントを取ったが、旅費の申請などが日本と比べてすごく簡単なようだ。滞在日数と一日あたりの費用をいうだけで給付してくれる。研究をしてくれれば金を出す側は細かいことはいわないし、研究者の側にも研究をするインセンティブがあるから、それで上手く行ってるのだろうと思う。

*4:「科学は進歩すべきだし、その進歩によって人類は良くなる」といったことがその信念の中身だろうと思う。少なくともNSFは明示的にそんな感じ。